10月6日7日と、東日本大震災から5年7か月が過ぎた、南三陸町と陸前高田市に視察に行ってきました。
奈良同友会の先輩達や仲間達と共に。
ようやく書ける時間が出来たので、アウトプットしたいなと思います。
ちなみに僕は全国の同友会青年部連絡会の仲間達と共に、南相馬、浪江町も視察に行っておりますので、今回で二回目の被災地訪問になります。
当時の記事はこちら↓
「2014年4月8日のブログ~三年後の福嶋。期間混乱区域、福島県の南相馬、浪江町を視察してきました~」
今回は「地域」について、改めて深く考える機会になりました。
地域って何でしょうか。
自分の住んでいる町?
自分の生まれた町?
都市ではなく、地方のこと?
そもそも僕の地域は誰が決める?
僕は地域って「場所」じゃないと思ってます。
例えば僕の地域が奈良県だとして、奈良(地域)を元気にするんだ!と言っていても、もし僕の家が大阪との県境にあって、お隣さんが大阪の人だとして、その家が火事になったら間違いなく助けにいくんですよね。
僕の中ではお隣さんが住む大阪も大切な地域。放っとけないし、線引きなんて出来ない。
僕の中での地域は奈良だけじゃないし、大阪も、近畿も、日本も、世界も、全部繋がっているから、つまりは全部になる。
むしろ奈良以外とも一生懸命関わるからこそ、見聞や力を身につけられて結果的に奈良という地域が活性化すると思っている。
地域に県境も国境もないのです。
地域の定義をエリアにしてしまうと、自分の立ち位置や役割によって変わる。
香芝市民にとっては、香芝が地域?
奈良県民にとっては、奈良が地域?
関西人にとっては、関西が地域?
日本人にとっては、日本が地域?
人間としては、地球が地域?
じゃあ視点を変えて。
旅人であり、経営者としての、中野愛一郎にとっての地域とは、何か。
僕は旅で世界中を周った。そこで世界中に住む沢山の人達と関わらせていただいた。つまり僕の人生という舞台は、世界になる。
間違ってもチャリンコで移動出来る範囲の半径3kmが僕の人生の舞台です、と言い切る事は出来ない。世界中の沢山の人達にお世話になったから今の僕がいる。
そしてビジネスで言ったら、日本全国そして世界中のお客様から僕の経営するイベント21に毎日お問い合わせをいただきますし、お仕事をさせていただく事でhappy!を生み出している。
間違いなく僕を構成する要素は、香芝市だけじゃないし、今食べてるご飯も世界中が原産地。出会った本も世界の事について書かれているし、僕の人生は世界中からの恩恵を受けている。
直接関わったかどうかは関係なく、周り巡って世界中の地域から恩を受けてきたからこそ、その事実に感謝するし、じゃあ僕は貰いっぱなしではなく、還元していきたいと思う。
つまり、僕は地域に生かされてきたからこそ、地域は僕に関係していると思うし、だからこそ僕が感謝と責任を持って関わるべき存在として、「地域」がある。
それはエリアで言ったら世界中であり、宇宙でさえも。
概念で言ったら、この世界を創ってきてくれた全ての先人達、先輩達。そしてまだ見ぬこの世界の次世代達。
過去現在未来の人達が、僕にとって感謝の念と責任感を持って一生懸命関わるべき「地域」なんです。
自分の損得関係ないんですよ。僕の中で地域とは関わるべき存在なんです。
お、地域について段々概念整理出来てきたぞ。
まとめると。
地域とは!
世界中であり、宇宙であり、過去現在未来における全ての先輩後輩のことであり、そして感謝の念と責任感を持って一生懸命関わるべき存在。
分かりにくいな。
これいきなり「地域って何ですか?」と誰かに軽いタッチで質問されてこの答え言ったら間違いなくドン引きされるパターンやろ。
なんやねんこの答え。僕は100パー意味分かるけど。
まぁええわ。
これからも考え続けよう。
まぁ簡単に言うと、「関わるべき存在」です。これが僕の中の地域の定義です。宜しくお願いします!!!
いやいや、
このままでは今日のブログは終われません。
視察してきたんですよ。
条例づくりが今僕の中で興味のある分野というか、アツいです。
なぜならそれは見方を変えると、企業でいう環境創りであり、カルチャーでもある部分だからです。
地域の条例づくりに関わる事で、地域皆で一体化し、情報共有の場となり、条例制定後の推進を行う主体者を増やす事で、地域の未来を創る。
地元(自分のコミュニティ=自社)を盛り上げたいという責任感はみんな持ってる。
自分の地域ブランド力を上げるプロジェクトを立ち上げ、色んな人達を巻き込んで参画して進めていく話し合いの場が、コミュニケーション量と、役割コミュニケーションによる先輩の質によって価値を生み、それが参加者の地域に対する誇りやプライドを高める場として機能している。
そういった話を現地で南三陸町役場の課長さん、課長補佐さんから聞いて、素晴らしい!と思った。
弊社では現在7つの委員会があるのですが、次年度は更に2つ増やして、そのうちの一つとして、イベント21ブランド力向上委員会を立ち上げる事を決めましたよ。めっちゃ良い。
個性は環境によって変わる。会社の個性=カルチャーも、環境によってより良く変えていける。
そして。
震災直後の悲惨な話を沢山聞きました。
5.5mの防波堤で、14.5mの波が来た。実際は波は上に駆け上がるので20mを超える波が町を襲った。想定外。
いつも避難訓練の場所だった防災センターに避難した人が全員亡くなった話。
5年経った今も、死亡届を出さずに、妻と娘を待っている人の話。
半年間、海を見る事が出来なかった話。
病院の屋上に避難した患者さん達の半分が低体温病で亡くなった話。
森の木に何日も死体がひっかかってる話。
今生きている人も、みんな大切な人を亡くしてる。辛い経験をしてる。
そんなお話をされながら、ずっと明るく笑っておられたのに、泣かれていました。
「生きられなかった人の分まで生きる。楽しく生きる。今日のご縁に感謝。嬉しい」
聞いている僕達もやっぱり涙が出ました。
何年経っても忘れられない大事な話を沢山聞かせてもらいました。
全てが流された光景の中で、「南三陸ダメかも・・・」って地域住人も最初は思っていた中で、自分が旗印になるんだという覚悟を持った人達によって、ちらほら、いたるところで、プレハブで店や事業が再開してきて。
みんな頑張ってる。自分も頑張ろう。ダメじゃない。元に戻したい。という力になっていったという、使命感。
「さっき妻が流されていった。町のみんなを守るぞ!」と、自らの役割を全うする、責任感。
「全世界から支援いただいたこの町が、防災を日本中、世界中に発信し続ける責任がある。それが恩返し。」
「海の方にある避難所に向かえ!」と、先生も生徒も皆が海に向かって走る中で、「津波が来たら山に行けってお父さんもおじいちゃんもいつも言ってた。俺達山に行く!」と言って助かった勇気ある3人の小学生。避難所に向かった85名の子供と10名の先生は全員亡くなった話。
逆に、マニュアルに沿って学校の屋上に避難して助かった2600人。だけど3人だけ犠牲になった。みんなが避難している途中に親が来て、列から自分の子供を引っ張り出して帰った。親子ともに亡くなった話。
学校信じて助かった人。亡くなった人。学校を信じなくて助かった人。亡くなった人。
結局、自分の命は自分で守らなければいけない。自立心と判断力。
リーダーの判断一つで沢山の命がなくなる。
人財育成の重要性を感じた。会社で働く事を通じて、日本や世界を守れるリーダーを生み出していく事が経営者の責任。
そしてまずはそんな経営者に自分が成長して到達する必要性。
強い者だけが生き残る世界を創るのと、
皆が安心して暮らせる世界を創るの、どっちが難しいか?
後者は「何を青臭い事言ってんだ」と後ろ指をさされるだろう。
「俺達地元の企業が新卒採用を続けないと、地域が無くなるんだ」
そんな、圧倒的に強い経営者が、「社内の半分がPTSDになった。数名退職もした。僕も、鬱になりました。夜になると不安で、ずっと眠れなかった」
今回の視察で、沢山の学びと、気付きと、自社へ持ち帰る閃きと、決意をいただきました。
必ず自社をより良くして、you happy, we happy!を実現できる存在になります。
いつもありがとうございます。