皆さんこんにちは。中野です。
先週末、福島県に行ってました。
僕が7年前から参加している経営者が経営を学ぶ団体「中小企業家同友会」の全国青年部連絡会正副代表会議に参加する為です。全国で活躍する熱いリーダー達と学びについての本音の議論が最高に面白かった。
このメンバー、この会議、この瞬間が、全国43000社が所属する同友会の青年部における最先端でなければならない。未来を創る今を実感出来て毎回学ばせて頂いてます。その後は福島後継者塾の例会に全員で参加し、学び、懇親会。
そして翌日は期間混乱区域に指定され、一般人は未だ入る事が許されない地域、南相馬、浪江町を視察。同友会メンバーが住民という事で特別に許可が下りる。
それでも道中に検問が三つもあり、身分証明書の提示が求められる。
通常0.15マイクロシーベルトのところ、検問を通過したあたりから急激に放射線量が上昇し、一時期9.10マイクロシーベルトまで上がる。バスは原発の6km付近まで近づいた。
測定装置が表示するリアルすぎる数値が、見えない放射能の恐怖として感じられる。
浪江町はゴーストタウンと化していた。
まるで町全体が映画のセットのよう。誰も居ない。
倒壊したままの家屋。信号は全部黄色の点滅。田んぼは草がボーボーに生えていて、その中には車や船がひっくり返って落ちてる。
請戸小学校に入る。
体育館は卒業式の準備で時が止まってた。体育館の床が陥没してる。教室の天井は剥き出しになり、落ちている。
黒板にはみんなの想いが。本当に一面に埋まっていた。読んでて泣きそうになる。
教室の床には授業で使っていたと思われるプリントが散乱していて、楽しいはずの運動会の写真が泥にまみれていました。
誰も居ない音楽室に寂しく響くピアノ音。なぜか僕は、鍵盤から普通に音が出た事にほっとした。
福島メンバーの3.11当時の状況を聞く。地震があって外に逃げ出すと横殴りの吹雪。この世の終わりみたいだったって。
みんな話してて、どうしても涙が出てくるんです。三年という月日がとても無意味に思える。
経営者としての覚悟。家族にもう会えないかもしれない、それでも会社を守るという覚悟。会社潰れてもいい、それでも雇用を確保するという覚悟。
物凄く胸を打たれました。伝わりました。本当に感謝したい。
同じ日本人として、共に歩みたい。
でもどうやって?
子供達の笑い声が消えてしまった小学校で、その事を考えた。
僕が見た事を伝え続ける事。
そして今目の前の社業を一生懸命頑張って、福島をもっともっと助けられる力を持つ企業になる事。
日本を元気にする事。それが子供達に夢を与えられる事にも繋がるから。
それが今を生きる青年経営者としての責任だと思いました。
福島の寿司屋では、
「このシラウオ地元産で今年初めて入ってきました。」
「それ食べたいです。握ってもらっていいですか?
あ、めっちゃ美味しいですね!」
「美味しいでしょ?放射能入ってるからね〜」
「がはは!それは今言わんで!口の中入ってるから!」
「県外出ると最近元気出ないんですよね〜。放射能浴びれないから」
なんか、強烈な自虐ネタをバンバンかましてくる福島県民に逆にタジタジになるけど、頑張って前を向いて生きているのが気持ちいい。
今でも思い出すと涙が出る。それを聞いて周りのみんな涙が出る。それでも笑い飛ばして生きていこうとしてる福島の強さを、僕達はどう感じ、どう返していけるのか。
今回、大変貴重な時間を仲間達と共有する事が出来ました。三年後の福島、来て良かった。見れて良かった。
頑張ります。ありがとうございました。
奇跡の一本松 in 南相馬市
1 comment for “三年後の福島。期間混乱区域、福島県の南相馬、浪江町を視察してきました。”