東日本エリアマネージャー自分史

東日本エリアマネージャー自分史

こんにちは! イベント21 東日本エリアマネージャーの古田です。

今回は、自分の人生を紹介していきたいと思います!

 

【生後~名古屋で働いているときまで】

岐阜県で生まれて、岐阜⇒名古屋って感じで転職しながら働いていました。

基本的に楽しければいい!という考え方でちゃらんぽらんな生き方をしていましたね笑

生き方にこだわりないのがこだわりだ!、、そんなことを言っていたような気もします。その辺りは今も変わってないですが

 

運送業界で働いていた話①

基本的に運送業で働いていました。僕が働いていた時は、運送業界の働き方改革が行われている時期(たぶん)だった気がして、働いているうちに色々労働環境変わっていきました。10~15年前です。

5~6年運送業界にいたんですが、前半は結構労働環境酷かったですね。普通に休日サービス出勤していました。支店長みたいな人から「古田!今日はタイムカード押すなよ!」みたいなこと言われていました(あくまで僕がいた会社での話で運送業界全体がこうであったわけではないと思います)。その時はそれが普通の感覚だったんですが、いま考えると「休日サービス出勤」って結構なパワーワードですよね。当然のように「休日サービス残業」もしていました笑

結構キツい業界だった気もします。それに耐えるために、僕も結構荒れていったかもしれません。

私生活も荒れていきましたが、運転も荒々しかったですね(今では絶対にしませんが汗)。弁当食べながら伝票めくって、うおー!この坂で〇〇km/h出す!(出してはいけない数字)みたいなことをしながら過酷な労働環境に耐えていました。

運転中じゃないと忙しくてお弁当食べれなかったんですよね。お弁当無いときは、信号待ちで止まった瞬間に自販機で炭酸ジュース買っておなかを膨らませていました。体重いまより15kgくらい少なかったです笑

運送業界入って数年したら、休日サービス出勤は無くなりました。「あ、休みに休んでいいんだ~!やった~!」ってめっちゃ嬉しかったの覚えてます。

 

運送業界で働いていた話②

名古屋では4tトラック乗ってました。僕が持ってるのは普通免許なんですが、昔は普通免許で総重量8tまで運転できたんですよね~。教習所とかじゃ当然乗らないので、急に大きな車に乗るのはめっちゃ怖かったです。

4t乗ってるときは朝一、荷台に基本手積みなので(リフトとかはベテランの先輩優先でした、、)夏とかは朝の積み込みだけで2Lのペットボトル2本飲み切ってました笑 その積み込みさえ終わっちゃえば2tの時よりは気楽に名古屋市内を周ってました。

運送業、結構キツい部分もあったんですが、ちゃらんぽらんな僕には合ってる気がして楽しく働いていました。名古屋でたくさん友達も出来ましたし。この後上京するんですが、同じタイミングで上京した友達も多く、今でもたまに遊んだりします。仕事とか学校全く関係なく20代中盤で出会って、もう10年来の友達だったりするので、出会いって面白いな~と書いてて思いました。

 

運送業界ディスってしまったような気もしますが、おおらかな時代(っていっても偉そうに言えるほどそんな前じゃないですけど)ならではの大変さと楽しさがあって。昔のきつかった時代が嫌だったとは全く思ってませんし、逆に今の子たちが経験できないいい経験させてもらったな~って思ってます。

今でも4t乗れますし、リフトも運転できますし、イベント業界で役立つことも多くて。楽しく働かせてもらって感謝してます。

もし仮にイベント業界辞めたら、運送業界戻りますね~ってこの前全体マネージャーの小杉さんと話しましたね笑

 

ちゃらんぽらんエピソードはたくさんあるんですが、ここでは書けないことが多いです笑

 

【イベント業界との出会い】

イベント業界との出会いを書きます。えっ?イベント21のことじゃないの?って感じですが、僕イベント21で唯一(たぶんそうだと思う)、入社前からイベント業界にいたんですよね。

 

名古屋を出て東京へ

名古屋で運送の仕事してるときに、友達に日雇いのバイト誘われました。それがイベントのバイトだったんですよ。

栄にあるオアシス21ってとこの広場でサンプリングするって内容だったんですが、今までずっと運送業で働いてきた僕にとってそのバイト楽しくって。

その時の気持ち詳しくは忘れちゃったんですけど、たぶんあんま人と接しない仕事だったんで知らない人とたくさん接するていうのが楽しかったんだと思います。

それでこれ仕事にしたいって思ったんですよね。

 

で、運送業してたじゃないですか。今でもめっちゃ申し訳ないと思ってるんですが、僕その時めっちゃ(今より)ちゃらんぽらんじゃないですか。

だから、イベントやりたいな~⇒イベントっていえば東京だよな~⇒東京いこ!

って感じで東京行きたくなっちゃったんです。

で、僕その時めっちゃ(今より)ちゃらんぽらんじゃないですか。なので、運送業(ほぼ)その日に辞めっちゃたんですよね。

僕「東京いくんで辞めます!」

上司「できれば続けてほしいけど、、いつ?」

僕「今日です!」

上司「えっ!?引き継ぎとかもあるからそれはさすがに無理だよ!」

僕「ごめんなさい!でももう明日引っ越してしまうんで、名古屋にいないんです!」

上司「・・・・(遠い目)」

それで、次の日は働いてから、夜引越ししました。

いや~申し訳ないですね、、今の僕ならもうちょっとちゃんとした辞め方が出来る気がしています。

 

当時はお金もなく、ちゃらんぽらんだったので引越しも大変でしたね。

一日働いて夜21時くらいに名古屋出発⇒下道で行ったので(お金なくて)9時間くらいかかる⇒10時くらいに新宿の不動産屋いって鍵もらう⇒午前中に引越し作業⇒午後から友達の引越しを(なぜか)2件手伝う⇒22時くらいに東京出て6時くらいに名古屋に戻る。

みたいな不思議なスケジュールで動いてました。丸二日くらい動き続けてました。当時は若かったんですね。無茶するのは今でも好きで、それはイベント業界で働く上ではプラスになってると思わなくもないです。

 

上京しました!!

前置きめっちゃ長くなったんですが、ついにイベント業界に入りました!!

つっても最初はバイトですよね。登録制の日雇いバイトです。27歳くらいで仕事辞めて上京してバイト暮らしって、、って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は憧れの東京来れた嬉しさとイベントに仕事で関われている楽しさが圧倒的に勝っていました。めっちゃ楽しかったですね。この向こう見ずなところはイベント業界に向いているのはないかと思っています。

 

住んだところ書いていいですか?最初は三鷹市に住みました。本当は吉祥寺に住みたかったんですよ。カッコいいじゃないですか。僕ミーハーですし。近所の散歩で井の頭公園とかよくないですか?

でも吉祥寺家賃高くて諦めたんですよね~お金は無かったです。で、隣の三鷹に住んだんです。三鷹もジブリ美術館とかありますし、井の頭公園近いですし。

でも三鷹(JR三鷹駅の近く)も僕にとっては高かったんですよね。それで、三鷹市の端っこに住みました。最寄りは京王線つつじが丘駅(徒歩25分)。いい街でした!調布も近いですしね。なんで、千歳烏山~調布くらいまでで結構遊んでました。僕昔からミーハーなんで、イベント業界向いていると思ってます笑

 

ついにイベントの仕事始めます

わざわざ仕事辞めて上京して始めたイベントの仕事。めっちゃ楽しかったですね。

僕今までも楽しく働いているって書いたんですが、あくまで仕事とプライベートのトータルが楽しいって意味で、仕事自体がめっちゃ楽しい~!って思ったことはなかったんですよ。

でもイベントの仕事はめっちゃ楽しかったです。生まれて初めて(笑)この仕事頑張りたい!って心の底から思ったんですよね。

なんで結構頑張りました。当日の現場でもそうなんですが、働いているとき以外でも自分が働きに行くイベントの詳細調べたり、何かこうした方がいいな~と思ったら(空気読みつつ)提案したり実践してました。

このあたりで、僕の仕事への向き合い方とか、サービスのあり方とか、仕事に関する今の自分の基礎となるものが出来上がった気がします。当時27~28歳。おっそ~って思われる方もいらっしゃるかもしれませんが笑 当時の僕には全ての事が新鮮で、知らないことを学んで吸収して、仕事を頑張るっていうことがすごく楽しかったです。

変にこだわり持たず、学べることはどんどん学びたい!という姿勢はイベント21に入社してからも自分を成長させてくれた僕の個性かなと思ってます。

 

フリーで仕事も安定し始める

こんな感じで頑張ってたら、その後直接お仕事の声をかけて頂けることも多くなりました。1年くらい経ったら派遣会社からお仕事紹介してもらうちうことは(ほぼ)無くなりました。これを僕はフリーでイベントやってたと表現していますが、厳密には違うと思います笑 頂けるお金は増えましたが、待遇はアルバイトと変わらないですし。

1~2か月泊まり込みでどこかに行ってキャンペーンしたり、東京ビッグサイトや幕張メッセ行ったりめっちゃ楽しかったですね。

イベントの何が楽しいか書いてなかったんですが、お客様が沢山来場するイベントで、その場でその時の状況や起こることに合わせて指示をだしてイベントを成功させるっていうリアルタイムな感じがめっちゃ楽しいんですよ。それでイベントが無事に終わった時の快感は何物にも代えがたいと今でも思ってます。

今のイベント21の仕事もめっちゃ楽しいんですが、イベント運営っていう意味ではこの時がまさにイベント運営毎日やりまくってるときでした。上に書いたような楽しさはこの時の方が勝ってますね。いまクリエイティブ事業部の運営部門を任せていただいているので、イベント21の運営部門を大きくすることが、僕がずっとめっちゃやりたいことの一つです。

 

楽しいけど、でもなぁ~と思い始める

めっちゃ楽しかったんですが、でもなぁ~と思い始めました。何かって言いますと、当日よりもっと前の段階からイベントに関わりたいと思ったんですよ。

だってこの時の僕の立場って、しょせん個人で当日運営で関わるだけのやつじゃないですか。当日の運営ことにはあれこれ言って、採用してもらえることもありますが、企画段階とか準備段階のことに何言っても通らないじゃないですか。当たり前ですけど。でも運営してるとそういう風に思うこと多かったんですよ。もっとこここうしてればお客さんの待ち時間少なくなるのにとか、お客さんストレスなくなるのにとか、楽しくなるのに、とか。

で、それを反映させるにはやっぱ会社に所属しなきゃな~と思ってイベント会社に入社することを決意したのです。この時31歳になるかならないか。まだ30代で結婚する気でいました。

 

【イベント21入社~一年目】

なぜイベント21に入ったか?

これは、ぶっちゃけ「ネットめっちゃ強いから将来性あるな」と思ったからです笑

その時はまだコアバリューなかったんですけど、理念にはめっちゃ共感しました!今でも理念やコアバリュー大好きなんですけど、その時思ったのが確か、、、、めっちゃ分かりやすくてロジカルに良いことだな。と思った記憶があります。僕イベント運営でディレクターやってたじゃないですか。で、スタッフの人たちに指示出したりするんですけど、皆良い人達ばかりじゃなくて(ほぼ良い人でしたけど)、しっかり動いてくれなくて困るな~ってことがたまにあったんです。その時は自分に出来ることしてなんとか上手いこと現場回していたんですが、この理念に沿うって全員決めていたら、指示めっちゃ出しやすいですし、何より全員の力を合わせてもっと大きなことができるなって思ったんです。

 

東京支店黎明期

一年目、僕が入社したころの東京支店は今とはかなり違っています。今のどの新設拠点とも違うカオス感というか、黎明期ならではの大変さと面白さがありましたね。

まだ僕たち社員のレベルも低かったので、(申し訳ないことですが)トラブルが起こることも多かったです。ただ、一致団結している時のパワーというか、ハチャメチャ感はあの時のメンバー、空気感ならではのもので2015年度の東京支店(というか関東)めっちゃ楽しかったの覚えています。

今ではやってはいけないことも多いので、おおらかな時代(これを言えばいいってものではないですが笑)ならではの無茶苦茶さ、楽しさがありました。

ここでは書けないことも多いような気がしないでもないですが、、、どうなんでしょう笑

ただ、あの時の楽しさ、一致団結さは僕がイベント21大好きな理由の一つでもありますし、今でもまたあんなことがしたい(やってはいけないことはしない)というのが僕の原動力の一つになっている、いい思い出の一年目です。

 

小杉さん(現イベント21全体マネージャー)との出会い

僕って入った経緯から、イベント21に入社するのってこのタイミングしかない!ってわけじゃないじゃないですか。中途ですし。もうちょっとフリー続けてから入るって選択も全然あったと思います。

でも、このタイミング(2015年5月)で入ったのめっちゃ良かったなと思っていて、その理由が小杉さん(現イベント21全体マネージャー)なんです。

小杉さんは2015年3月入社で僕の二か月先輩。チームも同じで、僕の直属の先輩でした。小杉さんは当時20歳、僕は30歳で学年でも10離れていたんですが、入社してすぐに「この人凄いな!」って思ったのを覚えています。というか本人に当時言いました笑

入社して間もなく、小杉さんの現場に連れて行って頂いて。川崎競馬場だったと思います。その時に「小杉さんの周りを明るくする力とかお客さんとの距離感の縮め方は僕が頑張っても一生かなわないと思うくらい凄いです!」と言いました。なんで言ったのか忘れましたが、本当に素直にそう思ったから言ったんだと思います。

前のイベントやってるときに、当然クライアントと交渉とか仕事受けたりするのは僕なので、ある程度営業も出来るかなと思っていたんですが、自分には無いものを小杉さんが持っているのを見て、近くで学ばせていただいて、大きく成長できたと思ってます。

あと、小杉さんの二か月後というタイミングが、直の部下にさせてもらえるタイミングだったのと、もし僕の方が先に入社していたらさすがに10歳上なのでしっかりしなきゃって思ったと思います。

なので、入社から現在まで、互いに切磋琢磨しつつ友達のような関係が築けているのはこの入社タイミング大事だったなと思う一年目です。

 

二年目~四年目 東京支店役職者として

二年目~四年目の話しますね。急にまとめすぎじゃない!?と思われるかもしれませんが、長くなるからまとめようとか書くのが疲れたとかではなく、中途入社な分ほかの人より社会人生活におけるイベント21社員として働いていた割合が少ない。そういうことだと思います。

 

神奈川支店設立!

僕の二年目で神奈川支店ができたんです!僕入社した時から、神奈川支店作るで~!って聞いてたんですが、正直半信半疑でした笑

だって25年続いている会社で東京支店ができたのが去年なのに、すぐ神奈川支店なんてできるの?って思うじゃないですか。この頃から(正確には一年目の途中から)、イベント21ってやるって決めたら絶対やる会社なんだな、おもしれ~!っていう認識を持ちます。

 

関東がイベント21の中で存在感を発揮し始める

神奈川支店ができたこともあり、イベント21における関東の存在感がかなり増したと思ってます。正直、一年目は東京支店は新人ばかりでしたし、かなり関西の先輩方にフォローして頂いていたなぁと思い出します。2016年度以降、時には関東がイベント21を引っ張る動きができたのではないでしょうか。

 

あとは、上でも書きましたが、2016年度からは支店としてちゃんとし始めましたね笑

現在STEPの社長の聖二郎さんが東京支店長でして、2015年は下記のようなやり取りしばしばしていました。

聖二郎さん「お前ら、来年は女子の新卒も入ってくるから〇〇ネタ絶対禁止やからな!今から言わないように慣れとかないと口滑らして言ってしまうぞ!」

僕とか小杉さん「いやそれ禁止って会話ができないでしょう!無理ですよ!」

聖二郎さん「今みたいなこと話してたら、○○○○で訴えられるぞ!」

僕とか小杉さん「思い残すことが無いように、今のうちに言いまくります!」

2015年度はマジでこんな会話していました笑

 

役職者としての苦悩①

二年目は東京支店サブセクションチーフ、三~四年目は東京支店長を務めました。

役職者になったばかりのころは、正直負担が大きかったですね。やる気は当然あったんですが、なかなか難しい面もありました。

それは前までの上司が部下になって指導対象になることです。特に、僕はイベント21ではサブリーダーやリーダを経ずにサブセクションチーフになったので、上司が部下になる。ということが最初なかなか難しく支店をまとめるのに苦労しました。

対策は色々悩んだ結果、やはり理念やコアバリューベースで指導する。ということですね。ただ、本当に自分が理念やコアバリューに対してこだわり持って譲らないくらいの情熱を持つことが大前提になります。会社が言っていることをそのままその人に伝えるのではなく、その人に合わせたアウトプット、指導ができることが大事だと思います。それには「理念やコアバリューにこだわって、自分が一番体現してやる!」という強い意志を持つことかなと思います。

入社してから、理念やコアバリューが大事というのは当然わかっているのですが、立場による学びもありその理解度は年々深まっていきます。特に、しっかりと理念やコアバリューと自分の人生で大事にしていること、こだわりを合わせるのがとても大事だと思っています。そこがズレたままだと拠点全員に悪影響を及ぼしてしまいかねません。

上司が部下になる。というのは当時は大変でしたが、今ではいい経験をさせてもらったと思っています。現在のイベント21でも同じような立場で悩んでいる社員の気持ちが実体験で分かるからです。この何でも体験したい!それが学びになる!という考え方は入社前から強く持っています。

 

役職者としての苦悩②

2016~2017年度、東京支店は退職者が多かったです。この退職を希望している社員への関わりはすごく悩みました。

最初は、「そっか~なるほどね~。でも○○さんがそう決めたなら応援するよ!」と毒にも薬にもならない、その場だけ良いかっこできるしょ~もないこと言ってました。

でも、それじゃ違うなって途中から思って。実際、辞めずにイベント21続けてほしいって気持ちもありましたし。でも、それ言うのが最初抵抗あって。何かそれを言うのが会社の手先みたいに感じてしまう自分がいました。辞めたいっていう社員の味方になってないみたいな。でも、「辞めたいなら辞めれば?」って突き放すのも絶対違うと思って。退職希望者への関わりはしばらく僕の解決しなければいけない課題だと感じていました。

会社と退職希望者の間で揺れ動く僕の気持ちは、退職希望者の味方になる。という選択を取り解決しました。

ただ、今の退職希望者の気持ちに寄り添うとかではなく、その人の人生を考え、どういう選択をすることが一番その人にとって良いのか?を考えてその人の味方になる。というスタンスを取っています。

このスタンスを取ったうえで、理念やコアバリューへの理解を深め体現する気概があれば、心の底から「いま辞めてしまうよりイベント21で頑張った方がいい!」と伝えられると思います。もちろん辞めたいと思う理由は様々なので、その人に合わせて言ってあげられるようになるには僕もその人の気持ちを知ってじっくり時間をかけて自分の気持ちも深堀しないといけないわけですが。

東京支店、退職者が多かったですが、そのことが僕を成長させてくれました。東京支店の役職者やリーダーと悩んで関わったあの時間が僕の財産です。

 

東京支店長最終年、多くの賞を頂ける

四年目の2018年度、イベント21三大行事すべてで拠点賞を頂くことができました。僕は最初と最後に舵取りをしただけで、支店メンバーのおかげであるところが大きいのですが、入社二年目~四年目で大人数拠点を運営する大変さと、多くの人が力を合わせたときに発揮できるパワーの大きさを知りました。現在埼玉支店長を務めていますが、東京支店長として経験させて頂いた多くのことが埼玉支店の運営に活きています。

 

五年目~六年目 マネージャー就任

コアバリューの体現に対する課題

マネージャーになって変わったのが、より理念やコアバリューを意識するようになりました。

五年目の最初の一か月、大阪支店に出張に行っていたんです。そこで、当時新人の米戸君がプライベートで道に倒れている人を介抱して、後日その人がお礼に大阪支店に来てくれる。ということがありました。その時、こいつすげーな!と思って。自分の中のコアバリューの何かに引っ掛かった感覚がありました。

それはその時感じていた違和感で、コアバリューいま皆ちゃんと言えたりするけど、ただ言えるだけで、四六時中意識して体現できてるわけじゃないよな。と思ってたんです。

それでプライベートでそんなことしてる米戸君ってめっちゃコアバリュー体現できてるなって衝撃を受けました。なので、そこからプライベートでも皆がコアバリュー体現できているレベルになったらもう一段階体現レベル上がるなって思ったんです。

 

理念やコアバリューの体現で負けたくない

いま、僕がマネージャーとして感じていることがこれです。理念やコアバリューの体現で負けたくないと思っています。

それには上で書いたように、プライベートでもコアバリュー意識して体現していくことかな~と思っています。だって、たぶんプライベートで全く挑戦しない人が仕事で急に挑戦できないですよね。僕挑戦や行動体現したいなと思って、そこからは思いついたこととにかくやろう!って思ってます。なので、大阪からチャリで帰ろうと思ったら帰ったり、坊主にしたり、またチャリでどっか行ったり。これはやりたいから勝手にやってるんですけど、自分の中の挑戦や行動を阻む意識の壁のようなものをプライベートレベルで完全に外してしまおう。という想いもなくはないです笑 奇行の正当化はよくないですか?

 

 

you happy! we happy! の伝道師になる

これ僕の今年のビジョンです。コロナすこし意識薄かったんですが笑、気が付いたらしっかり意識した行動してました。「理念やコアバリューの体現で負けたくない」っていうのが今このビジョンでやるべきことだと思ってるんです。

社長ってやっぱすごいじゃないですか。上に書いたように、まさにプライベートで全部のコアバリュー体現してますし。それで、社長より皆に近い立場にいる僕が社長に負けないくらい理念やコアバリュー体現して、その学びをアウトプットするっていうのをするべきだと思ったんです。そうしたら皆もっと理念やコアバリュー体現できるなって。

コロナで会社も僕たちのプライベートもめっちゃバタバタしましたが、やっぱりしっかり考えたビジョンって自分の行動理念の核になってるんだなって思いました。

これ書いたことで、自分の中の気持ちや学びの整理できましたし、まさに自分のビジョン達成のためにやらなければいけないことだったなと感じています。

そして、今はより多くの人に理念やコアバリューの良さを伝えたいと思っています。それを一番実現できるポジションがM&A先の社長になることだと思っています。これからのイベント21の動きや自分がどんなことに挑戦できるのか、どんな成長ができるのかワクワクしています!

 

 

あとちゃらんぽらんさで負けたくないですね。会社で誰もかなわないくらい圧倒的に一番ちゃらんぽらんでいたい。

 

 

残り半年頑張りましょう!

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